雨の日が多くなかなか完成しませんでしたがやっと出来ました。なか村のカラスミ。自然乾燥で作る事が殆ど無くなってしまった一品です。Mさんお知らせする事がお約束でした。型が少し小さめですが味は何時もと変わらなく出来ました。ご期待ください。
あっという間にカレンダーが一枚になってしまいました。いつもは隙間だらけのカレンダーですが今月は殆ど予約が入り一人悦に入っていると隣で太志が一言〖死ぬ!〗
それでは
久し振りに御来店頂いたお客様から自分のつたないブログを楽しみにして頂いたそうでなぜ続けないの?とお叱りを受け再開です。
写真はお二人が生まれる前からご来店頂いているNさん。思い返しても25年以上のお付き合い。本当に幸せそうですが苦難の時代も知る私にはよくぞここまでとの思いが強くお相手していて涙が出てきます。ここまでしか書けないのがブログを中断してしまう理由かもしれません。国を相手に闘う事の苦難はこの写真からは想像出来ません。女の子っていいなあーと感じるひと時でもあります。再開のきっかけを作って頂いたMさん、ありがとうございました。因みに出来上がり寸前の「カラスミ」この雨で仕上がりが遅れます。
それでは
今日は卵焼きの焼印のご紹介です。昔は炭火で焼いたのですが今はガスの火なので消耗が早くボロボロになってしまいます。一文字いくらの代物です。もう職人が少なくなり、いずれ消えてしまうかもです。焼印の『なか村』の書体はこの道に入った店の一軒隣で文房具屋を営んでいたお店のおかみさんに書いて頂きました。わが子のように可愛がって頂き自分が40歳になるまで毎年お年玉を頂いていました。長生きして頂きたかったのですが天国に逝ってしまいました。自分の葬式には中村君の寿しをが遺言だよと御長男に言われ、涙が止まりませんでした。涙ながらに寿司を握ったのはI先生とおかみさんだけです。異常な緊張感でおかみさんに喜んで頂ける寿司を握った記憶があります。自分には大切な伝家の宝刀のご紹介でした。
それでは
雨の一日。ご来店の予約もなく太志は早退し純子は好きなミュージシャンのビデオに見入り自分は一人座敷で読書。お客様をお待ちする姿勢が微塵もない某コンサルタントからすれば最低の寿し屋です。
読んでいて面白い逸話が挿入されていたので紹介します。最高の生活とはアメリカで給料を貰い、イギリスの邸宅に住み、中国人のコックを雇い、日本人を妻にする事だそうで逆に最低の生活とは中国で給料を貰い、日本の邸宅に住み、イギリス人のコックを雇い、アメリカ人を妻にする事だそうです。何となく解る様な気がしますね。思わず笑ってしまった逸話でした。
佐島でお世話になった方が昨夜、美女5人を連れてご来店。流石の一言。5人共それぞれの世界でバリバリの方たちで楽しいひと時でした。
修業時代はコオロギが鳴くと暇になった記憶があります。じっと付け場で何時間も立っていたものですが諦めが早くなったと言うかこらえ性が無くなったのかまあ歳を取ったと言う事でご勘弁。
それでは
鮮度のいいのが条件ですがアナゴの肝です。塩焼きがお奨めです。ウナギの肝焼きよりさっぱりしていますがビタミンAが豊富で目に良いのだそうです。最近は御注文頂けるようになりましたが何せ希少なものですからホントの売り切れ御免商品です。
週末は埼玉、川崎、柿の木坂と売れない旅芸人宜しく駆け回りました。つくづく自分に合っている仕事だなと感じます。楽しくてしょうがないのです。店にはない場面が沢山あって洗い物を一生懸命にしてくれる素敵な御嬢さんやもう少し遊んで行けとお酒を奨めるお父さんなどなど素敵な出会いが堪りません。口コミだけで広がった出張の世界。自分の宝になりました。21日は当店自慢のオハギの日です。丹波の小豆が手に入りました。ご期待ください。
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企業の講演会の打ち上げで人権教育・啓発講師の中野佐世子先生がご来店。写真は手話でアイラブユーだそうです。手話の先生に会うのが初めてなものですから臨時の講習会になりまして簡単に覚えられる手話を教えて頂きました。難しく考えて取り組むのではなく歌の振り付けのように覚える感覚なのだそうです。馬鹿な俺でも出来そうです。私は寿司屋です。この手話を完全マスター?表現は一秒で出来ます。こんな美人の先生に優しく手話の入り口に立たせて貰えたら又違った人生を歩けたのかもしれません。そして幼稚園向けの手話ソングブック。歌の振り付けが手話になっているそうで将来に気付いて貰えればいいのだそうです。又障害のある方の接し方も色々ご教授頂き勉強になったり考えさせられたりの一日でした。中野先生、ありがとうございました。まったく不謹慎ではありますが貴重なお話を伺いながら御代はしっかりと頂くとんでもない寿司屋です。
それでは