50年前渋谷道玄坂の出前持ち達が集まって出来た草野球チーム。一番下っ端の連絡係でしたが流石に50年経つと一番上になってしまいました。69歳を筆頭に20歳代の若者迄【来る人拒まず去る者追わず】のチームスローガンでやってきましたが自分の生き方を反映しまして野球一流で仕事はまあまあで私生活5流の人達の集まりになってしまいました。今では若手と爺のクラスに分かれて9チーム参加の早朝リーグで戦っています。そして今日が最終戦でした。ここを巣立って山形に帰り社長様に成り上がった人物Y君。今日も山形から洋梨が届きました。
ここからは自分の個人の通信です。
”Y君へ”何時もありがとう!野球をやっただけなのに毎年、毎年山形の名産品を送ってくれて感謝です。今年も懲りずに野球を続けて今日終わりました。8位と9位のリーグのお荷物になっていますが楽しいからいいのです。お前を超える草野球の3塁手にあったことは50年来ないから。あの時代があったから今があるよ。寿司も野球も死ぬまでと言える年代になっちゃったよ。俺の願いは来春東京の仕事を作り、火曜日に泊まり水曜の早朝野球に来て俺とキャッチボールをしようよ!多分泣いてしまうと思う。本当に何時もありがとう。遠く山形に俺の仲間がいると言えるのが俺の誇りです。野球に感謝です。 それでは。